昭和2年(1927年)にご宿泊頂いたお客様のお孫さんが、
当時のおじい様が撮られた写真を送ってくださいました。
こちらの写真のバルコニーの部分で撮影なさったようです。
当時の貴重な写真を誠にありがとうございます。
明治6年(1873)創業の当館が、
「高萬旅館」から「鳴子ホテル」へと改名し、
洋風の建物に改築されたのは大正時代のことでした。
当時は鉄道(陸羽東線)の開通(1915年 大正4)、電気の導入、
電話の開通など、山のいで湯鳴子も
社会基盤が整い、戦前、鳴子温泉がもっとも賑わった時代です。
1913年、小牛田駅 – 岩出山駅間が陸羽線(りくうせん)として開業したのを皮切りに、
1915年に鳴子駅(現・鳴子温泉駅)まで延伸。
新庄側も新庄線(しんじょうせん)として
新庄駅 – 羽前向町駅(現・最上駅)間が開業した。
全通は1917年で、その際新庄線を陸羽線に編入して陸羽東線と改称した。
1873年(明治6)[第10代 小四郎]
「高萬旅館」創業
・湯守制度の廃止
・租改正により温泉を開湯
・旅人宿として営業を開始
※幕藩体制が崩壊し、これまでの湯守制度が消滅。温泉開発が自由に
1886年(明治19)3月19日
鳴子温泉街大火による類焼を免れる
※鳴子湯元温泉宿商店等12軒全焼
1897年(明治30)[第11代 万右エ門]
旅人宿を近代建築に改装し、大規模な旅人浴客宿泊施設として営業
1902年(明治35)
町村合併制施行により、
大口村、名生定村、鳴子村を合併して「温泉村」となる
1910年(明治43)
大水害洪水により温泉村の死者138名
災害消防組小頭として最もめざましい活躍をして村民の尊敬を集める
1915年 (大正4)
陸羽東線「鳴子駅」開業
1917年 (大正6)
[第12代 万兵衛]
近代温泉旅館経営を目指し、
温泉村で初めてホテル経営として「鳴子ホテル」の名称登録を行う
温泉神社の国有林払下げを大沼源蔵と連名で申請。
許可され財産全部を温泉神社に寄付